覚せい剤取締法違反の罪に問われた元プロ野球選手・清原和博被告の初公判が本日5月17日午後、東京地裁で開かれました。
いつ始まるのか、非常に注目の高かった裁判の傍聴希望者は188倍にもなりました。
清原被告の現在の様子は?検察側の求刑は果たして・・・!?
清原被告の初公判、内容全文レポートです。
目次
清原被告の初公判
一般傍聴が倍率188倍
清原初公判の一般傍聴席は20。
これに対し、傍聴希望者は3769人で、約188倍の倍率に。
日比谷公園(東京都千代田区)が傍聴席の抽選会場となりました。
ちなみに、過去に東京地裁で開かれた刑事裁判で最も傍聴希望者が多かったのは、
オウム真理教の麻原彰晃(本名・松本智津夫)死刑囚の初公判:1万2292人(倍率256倍)。
次いで、女優・酒井法子(覚せい剤取締法違反罪)の初公判:6615人(330倍)。
同じく覚せい剤取締法違反罪に問われた歌手のASKA(アスカ・本名宮崎重明)の初公判は2646人(126倍)。
小沢一郎元民主党代表(政治資金規正法違反罪)の初公判は2146人(44倍)でした。
清原被告の初公判は歴代3位の多さですね。
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清原初公判内容全文
清原被告の初公判
時間:5月17日午後1時30分。
場所:東京地裁
清原被告の現在
傍聴人で満員の法廷に、
清原被告は紺色のスーツ、青っぽいネクタイ、白いワイシャツ姿で入廷。
ひげはなく、少しやせた印象だったそうです。
清原被告の弁護人は、女性弁護人、
検察側も女性検察官だったようです。
裁判官「仕事は何をしていますか」
清原被告「無職です」
現役22年間で稼いだ生涯年俸51億2300万円の、プロ野球界のかつて大スターが、
→清原和博の刺青画像を文春がスクープ!?上半身の昇り竜写真がついに公開
今や無職で被告人・・・。
とんでもない転落です・・・。
清原逮捕までの経緯
まず察官が冒頭陳述で、事件のストーリーを示します。
検察官「遅くとも現役を引退した平成20年ごろから覚せい剤を使用するようになり、繰り返し使用していました」
平成26年春過ぎ頃から、小林和之から覚醒剤を調達するようになったそうです。
→清原に薬を売った密売人小林和之逮捕!!画像は?群馬から沖縄へ逃亡!?
検察官「平成27年9月1日、被告人は小林に電話し、群馬県内のコンビニエンスストアで合流。公訴事実記載のホテル客室内で覚せい剤約1.2グラムを代金8万円で譲り受けた。28年1月31日ごろ、被告人は小林に電話し、覚醒剤を注文。代金4万円で購入し、2月1日ごろ、公訴事実記載のホテル客室内で小林から購入した覚せい剤を注射器で使用しました」
清原逮捕までの経緯まとめると、
2015年
9月1日 1.2グラムを代金8万で購入。
↓
2016年
1月31日 代金4万円で購入。
↓
2月1日 ホテルで使用。
↓
2月2日 警察の家宅捜索。現行犯逮捕。
清原被告は、ガラスパイプと、覚醒剤の入ったビニール袋を持って帰宅。
残りを自宅で所持したといいます。
検察官は、平成28年2月2日に、
警視庁の捜査員が清原被告の自宅マンションに家宅捜索に入るまでの経緯について説明。
検察官「捜査員にビニール袋内の覚醒剤とガラスパイプが見つかり、(覚醒剤)所持の事実で現行犯逮捕されました」
その後の検査で、清原被告の尿からも覚醒剤成分が検出。
使用の事実でも起訴されました。
検察官「逮捕場所は被告人方。(捜査員が)被告人方に合鍵で入室したところ、被告人が左手に注射器とストロー片を持って立っていたこと。ダイニングテーブル上に白色結晶入りのビニール袋を見つけ、『これは覚醒剤か』と聞いたところ被告人が『はい』と答えたことなどが記されています」
ガラスパイプに付着した白色結晶から、覚せい剤0.15グラムが検出。
清原被告の自宅寝室のタオルの上にはガラスパイプが置かれ、台所からは注射器が押収されました。
覚せい剤を常用するようになった経緯
検察側が清原被告自身の供述調書を読み上げます。
清原被告「引退後の生活は乱れていました。現役時代は試合がありましたが、目標をなくしていました。左足が不自由になり、先生からは良くなることはないと言われました。実際に戦地に行った方には失礼ですが、私は戦地へ行ってけがをした兵士のような気持ちでした。いずれどこかのチームのコーチや監督になりたいと思っていましたが、依頼してくるチームはありませんでした。心の隙間を埋めるようにして覚醒剤を使うようになりました。覚醒剤を使うのはたいていホテルの部屋でした。自宅には子供がいるので覚せい剤は使えません。平成22年頃先生の診療を受け、病院に入院しましたが覚せい剤をやめることはできませんでした。26年3月には週刊文春に私の覚醒剤疑惑が書かれると、マスコミの仕事もなくなってきました。本当に孤独でした。昔の知人に連絡をとるようになりましたが、やめたいと思っていたことは事実です。やめられなかったのは私の心の弱さだと思います。小林に連絡をとったときには、収入や仕事に不安を感じていました」
テレビのバラエティー番組などで度々目にしてきた、豪快な清原被告のイメージとはかけ離れた弱々しい姿が語られます。
検察官「28年1月、小林に『ひとつお願いします』と電話をかけています」
ひとつ、というのは覚せい剤1パケという意味で、
注射器2~3本とともに用意してもらい、
清原被告は4万円を支払っていたといいます。
2月1日、都内のシティホテルにチェックインすると、
注射したり、ライターの火を使いガラスパイプであぶったりして使用。
その後、知人に「落ちた」(覚せい剤を使ったという意味)とメールを送っていたそうです。
清原被告の父からの手紙
本来なら証人になりたいけれども、
狭心症の発作を起こしかねないため、
代わりに手紙を書いた父・洋文さん。
手紙の内容は、
- 故郷の岸和田には、清原被告を支援したい人が多くおり、支援する環境が多く整っていること。
- 被告人を応援したい父としての心情。
- 寛大な処分を求める480人の署名が集まったこと。
- 清原被告が父・洋文さんに青いグローブを買ってもらったときのこと。
清原被告の父「和博は私に手紙を書いて弁護人に託してくれました。手紙は生まれて初めてもらいました。手紙の中で和博はただ謝っていました。ごめんなさい、と書いていました。また、更生し人生をやり直すことがしっかりとした字で書かれていました。和博は、厳しい現実があると言っていますが、それ以上に難しいことが待っていると思います。人の役に立つ人間として生まれ変わり、人生をやり直してほしいと思っています。親としてできる限りの支援をしたいと考えています」
集まった480人分の署名
清原被告を幼少から見守った人とされる人物
「和博君は番長というイメージとは裏腹にまっすぐな男です。阪神淡路大震災では積極的に支援をしてきました。私たちで更生を支援する会を立ち上げました。治療や高野山での更生のための万全の体制を整えます。知人宅を訪問し、寛大な処分を求める署名をお願いしたら、480人分がすぐに集まりました。私たちは一度の過ちで和博君を見限ることは考えてなく、もう一度立ち直ってほしいと考えています。和博君は街全体の宝です」
清原被告の更生を支援する会は、
僧侶や建設業関係者で構成。
病院の手配や施設の確保をするそうです。
署名を集めた地域は清原被告が幼い頃、
母親に自転車で伴走されながら走った道の近くだったそう。
佐々木主浩が証人として法廷に
情状面を証言するため、清原被告と親交があった、元プロ野球選手”ハマの大魔神”佐々木主浩が情状証人として出廷しました。
引用元:nikkansports.com
清原被告が、刺青を入れることにも反対していたという佐々木。
→清原の刺青画像!!背中と足に入った刺青をダウンタウンは見ていた!?
どんな思いで、証言台に立ったのでしょうか・・・?
清原と佐々木の出会い
弁護人「もともと被告人とはいつ出会ったのですか」
佐々木氏「最初に会ったのは30年くらい前。高3で一緒に写真を撮ったのが初めてで、親しくなったのは大学1年の時に共通の友人を通して食事をしてからです」
弁護人「会ったときの印象はどうでしたか」
佐々木氏「彼は高校の時からスーパースター。ミーハーな気持ちで僕から『写真を撮って』と言いました。清原君は笑って『いいよ』と言ってくれて、優しい人だなと思いました」
弁護人「2人とも昭和42年度生まれの同級生ですね。すぐ打ち解けましたか」
佐々木氏「最初からそうなりました」
弁護人「親しくなったのは大学の時とのことですが、その後は定期的に会ったのですか」
佐々木氏「予定が合えば食事をしていました」
弁護人「昭和42年度(生まれ)のメンバーで会を立ち上げたといいますが、2人とも入っていたのですか」
佐々木氏「はい」
弁護人「いつごろ立ち上げたのですか」
佐々木氏「2006年か07年で、清原君が初代会長になってくれました」
弁護人「それは自分がやりたいと言ったのですか」
佐々木氏「いえ。人柄で、彼がやればまとまると思いました」
弁護人「被告人は慕われていたということですか」
佐々木氏「はい、そうです」
弁護人「会の名前はなんですか」
佐々木氏「絆の会という名前をつけました」
弁護人「活動内容はなんですか」
佐々木氏「少年野球教室を開いたり、引退した同級生との会合を持ったりして、この後、何ができるかを考えていました」
弁護人「活動はいつまでやりましたか」
佐々木氏「4年間くらいです」
弁護人「やめたのは理由があったのですか」
佐々木氏「清原君が会長を降りたので行かなくなりました」
弁護人「被告人の性格はどう感じていますか」
佐々木氏「優しくて気が利く人間です」
弁護人「エピソードがあれば教えてください」
佐々木氏「一番は、今もですが、食事をした後、普通の人は『じゃあね』と言いますが、清原君はにこにこして『ありがとうね』と言ってくれます。僕はその言葉が好きで、また食事をしたいなと思います」
弁護人「その時はいい顔をしているんですね」
佐々木氏「はい。かわいい顔してます」
弁護人「佐々木さん自身、『番長』というイメージは持っていますか」
佐々木氏「ないです」
弁護人「これまでに飲食店などで清原被告がトラブルや暴力沙汰を起こしたことはありましたか」
佐々木氏「ないです」
佐々木の引退試合
2005年、引退を決めた佐々木が最後に登板した試合。
佐々木は清原被告がバッターボックスに立つことを要望。
その対戦は実現します。
清原被告は佐々木のフォークを空振り三振。
涙を流しながら、2人は握手をしていました。
佐々木氏「高校時代からライバルで、最後は清原と決めていたので、球団にお願いしました。最高のバッターだと思います」
弁護人「どういう部分がですか」
佐々木氏「思った通りのバッティングができて、ホームランを打つ“ツボ”が分かっている、一球に向き合う姿勢があります」
弁護人「被告は努力家でしょうか」
佐々木氏「努力家です。今では多くの選手が海外でトレーニングしていますが、その前からやっていました。身体の作り方を含め、野球には人一倍でした」
弁護人「引退試合での打席ではどんな様子でしたか」
佐々木氏「泣いてくれて感動しました。熱い気持ちが伝わってきて、あの対戦は心に残っています」
週間文春の報道後
2014年「週刊文春3月13日号」で、清原被告の薬物疑惑が初めてマスコミに報じられます。
弁護人「(週刊誌の報道後も)付き合いを続けていましたね」
佐々木氏「彼を信じていました」
弁護人「佐々木さんが野球殿堂入りしたパーティーにも被告人を呼びましたか」
佐々木氏「はい。(清原被告に)欠席と言われましたが、彼がいないとパーティーは成りたたないと思い誘いました」
弁護人「なぜ欠席と言われたんですか」
佐々木氏「当時、『家庭で問題がありマスコミがいるので、迷惑をかける』と言っていました。そんなことは関係ないと引っ張りました」
弁護人「その後、名球会のイベントで会いましたね」
佐々木氏「(イベントは)野球教室で、明るく楽しそうで彼らしい様子でした」
弁護人「名球会のイベント以降に、別の企画もしていましたか」
佐々木氏「もう一度、何ができるか話しているときに事件が起きました」
弁護人「(薬物疑惑の報道後も)付き合いを続けていました。逮捕されましたが、どういう気持ちでしたか」
佐々木氏「正直ショックでした」
弁護人「信じていたのに裏切られたという気持ちですか」
佐々木氏「裏切りというか、ショックでした」
なぜ証人を引き受けたのか?
周囲の反対があったにもかかわらず、証人を引き受けた佐々木氏。
証人を引き受けた際、清原被告と電話で話したそうです。
清原被告は、佐々木氏に謝っていたそう。
佐々木氏「昔からの彼を見ているので。親友だと思っているので引き受けました」
弁護人「(佐々木氏は)投手として実績があり、名球会理事、解説家や評論家としても活躍しています。証人をやることへの反対はありませんでしたか」
佐々木氏「お話をいただいたときに即決で『分かった』とお返事しました。周りからは反対もありました。でも何ができるか考えて、何かしてあげたいと思いました」
弁護人「出廷要請その日に返事をいただけました」
佐々木氏「はい」
弁護人「被告とはその後話しましたか」
佐々木氏「はい。電話で『ごめんなさい』『すまない』と暗い声でしたが、本人の声を聞けて安心しました」
弁護人「謝っていましたか」
佐々木氏「はい」
清原は立ち直れるか?
弁護人「今後も応援したいという人は野球界にいますか」
佐々木氏「います」
弁護人「差し支えなければ具体的にありますか」
佐々木氏「名前は言えませんが、先輩、後輩、同級生と話しています。彼は一生野球人ですので、何かしら(野球に)関わってほしいと思います」
弁護人「なぜ野球が更生につながると思いますか」
佐々木氏「今でも野球人。携わることはいいことで、彼の技術を後輩に伝えてほしいと思います」
弁護人「被告は著名人でメディアにも取り上げられると思います。立ち直ると思いますか」
佐々木氏「サポートが必要だと思うので、皆さんにみていてほしい」
弁護人「被告が再びやったらどうしますか」
佐々木氏「2回目はないと信じています」
佐々木氏は、清原被告を「野球人」とし、一緒に野球を通じた更生の道を探っていくと強調しました。
清原の薬物使用を知っていた?
検察官「被告自身が長い間やっていたと言っていますが、その中でも変わった様子はありませんでしたか」
佐々木氏「僕の前では一切ありませんでした」
検察官「具体的に(更生を)どう支えていきますか」
佐々木氏「彼の体のこともあるので、相談しながら、同級生と野球教室やボランティア活動をやっていきたいと思います」
検察官「難しいことだとは思いませんか」
佐々木氏「これからの行動で示すしかないと思います」
検察官「覚せい剤はどうやめさせますか」
佐々木氏「野球のことをやります。いろんな方々と相談しながらやっていきたいです」
検察官「反対の声があったといいますが、差し支えない範囲でどういった声がありましたか」
佐々木氏「僕のイメージとかを考えてくれました」
検察官「(清原被告にとって)今後は球界での仕事は難しいのではないでしょうか」
佐々木氏「今後の行動次第だと思います」
裁判官「(逮捕されるまで)異変は感じませんでしたか」
佐々木氏「感じませんでした」
裁判官「報道の後に、薬物をやっていないか聞いたことはありますか」
佐々木氏「聞いたことはあります」
裁判官「結果的に裏切られました」
佐々木氏「そのときはそうでしたが、もうやらないと信じています」
清原被告への被告人質問
清原被告への被告人質問は、
まずファンに、そして家族に対して、どう思っているのかから始まりました。
名門・慶應義塾に通っていた2人の息子の思いとは・・・?
→清原和博逮捕で元妻清原亜希や子供への影響は?慶応に通い続けられる!?
弁護人「プロ野球選手になり、初めてユニホームを着たのはいつですか」
清原被告「1986年2月1日です」
弁護人「30年後の2月1日に覚せい剤取締法違反の現行犯で逮捕されました。どう思いますか」
清原被告「本当に情けないです」
弁護人「選手時代には、ファンの方からたくさんの声援をもらっていましたが、今、その人たちにどのような気持ちを感じますか」
清原被告「大変怒り、失望されたと思います。本当に申し訳・・・あぁぁ」
弁護人「裁かれる立場になってどう思いますか」
清原被告「プロ野球を目指す子供たちにも申し訳ない。野球界にも大変なことをしてしまい申し訳・・・はぁぁ」
弁護人「家族に対してはどう思いますか」
清原被告「2人の息子には、本当に申し訳ない気持ちです」
覚せい剤の入手ルート
弁護人「2月1日に覚醒剤を使用しましたか」
清原被告「はい」
弁護人「誰から入手しましたか」
清原被告「小林さん」
「小林さん」とは小林和之被告のことです。
→清原に薬を売った密売人小林和之逮捕!!画像は?群馬から沖縄へ逃亡!?
弁護人「小林さんは暴力団ですか」
清原被告「自分は暴力団と認識してはいませんでした」
弁護人「小林さんはあなただけに売っていたのですか」
清原被告「わかりません」
弁護人「入手方法はどこからだと聞いていますか」
清原被告「聞いたことはありません」
弁護人「暴力団から入手したのではないのですか」
清原被告「聞いたことはありません」
現役時代から覚せい剤を使用していた?
弁護人「いつから覚醒剤を使っていましたか」
清原被告「引退してまもなく」
弁護人「現役時代はどうでしたか」
清原被告「使っていません」
弁護人は同じ質問を繰り返し、清原が現役時代は覚せい剤を使用していなかったことを強調しています。
→清原は元同僚野村貴仁からグリーニー入手で20年薬漬け!?野村の現在の画像は?
弁護人「それはなぜですか」
清原被告「やはり自分は9歳の時に始め、引退するまで野球を続けていました。その中でのストレスや不安は野球で全て解消していました。しかし、引退すると社会の中での日頃のストレスやプレッシャーに対する解決方法がなくなり、ひざの故障で足が思うように動かず、そのころから、そういう理由で薬物を使ってしまったのだと思います」
消えたコーチになる夢
引退後はコーチになる夢を持っていた清原被告。
しかし球団から声が掛かることはありませんでした。
弁護人「現役時代はコーチになるなどの夢はありましたか」
清原被告「全ての選手が持つひとつの夢だと思います」
弁護人「あなたもですか」
清原被告「はい」
弁護人「あなたは現役を引退し、退団してから、コーチや監督などの依頼はありましたか」
清原被告「いいえ」
弁護人「現役引退後、野球以外の趣味はありましたか」
清原被告「趣味を持とうと思いましたが、ひざの故障で日常生活もままならず、見つかりませんでした」
離婚・仕事がない・息子に会えない不安
清原被告は、元妻の亜希さんと2014年9月に離婚。
薬物使用による清原被告の度重なる入院や、清原被告のDVが原因だったと言われています。
→清原亜希の離婚原因は夫からの刃物要求!?名字はなぜ清原のまま?
一方、2014年「週刊文春3月13日号」で薬物疑惑が報じられ、TV出演など、タレントとしての仕事もほぼなくなってしまいます。
弁護人「平成26年3月、薬物使用の疑惑を報じた記事が出て、仕事はどうなりましたか」
清原被告「ほぼなくなりました」
弁護人「同じ年に離婚していますね」
清原被告「はい」
弁護人「今回のこと(覚醒剤の使用)は、離婚が理由ですか」
清原被告「それもひとつの理由です」
弁護人「毎日、(覚醒剤を)使用していましたか」
清原被告「いいえ」
弁護人「どういうときに使っていましたか」
清原被告「心の中の寂しさやプレッシャー、ストレスに耐えきれなくなり、1人になると衝動的に使ってしまっていました」
弁護人「注射器は以前から使っていましたか」
清原被告「昨年、初めてです」
弁護人「(注射器での使用方法を)誰から教えられたのですか」
清原被告「小林です」
弁護人「平成28年1月31日に覚醒剤を買っていますね、なぜこの日ですか」
清原被告「その日は週末で、息子と会うのを楽しみにしていましたが、しかし体調を崩してしまいました。(子供を会えないなどの)自分の状況や、(薬物使用疑惑などの)うわさ。そういうことで突発的に行ってしまいました」
息子に会えない寂しさや、仕事がない不安で、覚せい剤に手を出してしまった清原被告。
弁護人「1月31日に覚醒剤を使用しましたか」
清原被告「していません」
弁護人「なぜですか」
清原被告「はぁぁ・・・自分の中の罪悪感、そういうのと戦っていました」
弁護人「買ってはみたものの、何とか使わずにすまそうと戦っていたのですね」
清原被告「はい」
弁護人「罪悪感とは何ですか」
清原被告「家族を失う、傷つける、周りの人を裏切ってしまう、心の弱さに逃げてしまう自分のこと」
弁護人「結局使いましたね。辛いことは忘れられましたか」
清原被告「自分の心の中のことですが、いろんなストレスやプレッシャーを忘れられました」
弁護人「やめようと思ったことはありますか」
清原被告「あります」
弁護人「どのような頻度ですか」
清原被告「使う度に罪悪感がありました」
弁護人「なぜ止めないのですか」
清原被告「自分の弱さです」
弁護人「覚せい剤を使うとどんな気持ちになりますか」
清原被告「罪悪感があります」
弁護人「(譲り受けた)覚醒剤1.2グラムは全部使ったのですか」
清原被告「いいえ、全部使っていません」
弁護人「残ったものはどうしましたか」
清原被告「捨てました」
弁護人「どうして捨てたのですか」
清原被告「使っている途中で、罪悪感にかられて捨てました」
覚せい剤をやめられるか?
弁護人「今後、覚せい剤をやめることはできますか」
清原被告「逮捕されて以来、いろんな本を読み勉強しました。大変厳しい、怖い薬物ということが分かりました。日々一日一日、覚醒剤と向き合い、自分の寿命が来るまで戦いたい」
弁護人「どうしてやめることができるのですか」
清原被告「こうしてここにいることや、逮捕されて留置場にいたときに、自分自身、そして覚せい剤についてずっと考えていました」
弁護人「取り調べの最中に覚醒剤を使いたくなったことはありますか」
清原被告「ありません」
弁護人「取り調べで(覚醒剤の)量を再現する際に、白い結晶を用いると思いますが、使いたいという気持ちになったことは」
清原被告「刑事さんに覚せい剤のようなものを見せられて、気分が悪くなり、取り調べを中止してもらいました」
保釈されてからも覚せい剤を使用したいという衝動に駆られたことはないと強調した清原被告。
小林被告と連絡を取るために清原被告が使っていた携帯電話の所在について確認する》
弁護人「携帯電話は、今はどこにありますか」
清原被告「弁護士事務所です。弁護士の先生や、ご支援してくれている友人と相談して、新しい携帯電話を持ちたいです」
弁護人「保釈されたときに、『必ず人の役に立つ人間になる』とメッセージを出しました。今後はどのように生活しますか」
清原被告「逮捕されてから今日まで、一度も外を歩いたことがない。心と体を健康にすることが、自分のしたいことです。弁護士の先生や、こんな自分にも手を差し伸べてくれる人の意見を聞きながら、考えていきたいです」
佐々木に対する思い
清原被告「本当に申し訳ない気持ちで・・・。自分が逮捕された時に弁護士を通じてメッセージをくれました。保釈された後も、佐々木に電話した。法廷に立ってくれたことに心から感謝しています」
傍聴席の一番後ろで公判の様子を見守っていた佐々木氏。
佐々木氏が野球を通じて清原被告の更生を探ると述べたことについては、
清原被告「大変ありがたいことだと思っています。しかし・・・更生の為に野球に向き合うというのは、野球に失礼だと思っています。心と体を健康にして、万全な態勢で野球に向き合いたいです」
弁護人「体調は万全ではない?」
清原被告「体調は・・・。糖尿の方は投薬治療で今おさまってますし、(留置生活で)耳鳴りや頭痛がひどいですが大丈夫です」
弁護人「友人はサポートを申し出てくれていますか」
清原被告「はい」
父親がに対する思い
清原被告の父・洋文さんと親戚が、地元大阪府岸和田市で集めた嘆願書。
計約480人分が集まった嘆願書の内容は、
嘆願書「私たちは清原和博氏の更生を信じ・・・(中略)・・・裁判官におかれましては、どうか寛大な処分をお願いいたします」
この嘆願書に対し、
清原被告「こういう風にして・・・本来であれば、地元の恥さらしといわれてもおかしくない。こうして地元の方が応援してくれるのは・・・感謝の気持ちでいっぱいです」
弁護人が嘆願書の調書への添付を求めますが、
検察側が認めず、
裁判官は「裁判所としては、これを拝見するに留めたいと思います」とのこと。
弁護人「留置場の中で、お父さんに手紙を書きましたか」
清原被告「はい。初めて買ってもらった青いグローブの話を書きました・・・。親不孝な息子を・・・許してくださいと・・・書きました」
弁護人「お父さんの手紙を読みましたか」
清原被告「はい」
弁護人「読んでどう思いましたか」
清原被告「・・・親不孝な・・・息子で・・・申し訳ない。病を患っているにもかかわらず『俺も一緒に頑張るから、和博も頑張れ』と・・・。感謝してます」
息子への思い
弁護人「会いたいですか」
清原被告「会いたいっす・・・。会って、謝りたいです・・・」
運動会に場違いな格好で愛人同伴で行くこともあった清原被告。
→清原が息子の学校に乱入!?愛人同伴で運動会を見に来ていた!?
父親として、更生することがまず何よりも、息子さんに対してすべきことだと思います。
弁護人「最後に何か言いたいことはありますか?」
清原被告「沢山の人を裏切ってしまい・・・申し訳ないです・・・」
検察側質問
検察官「覚醒剤を使うのは、社会でのストレスやプレッシャーを忘れるためということでしたね?」
清原被告「はい」
検察官「でもまた、社会でのストレスやプレッシャーを感じて使ってしまう、ということを繰り返していたんですね?」
清原被告「はい」
検察官「最初、ストレスやプレッシャーを紛らわすために、なぜ覚醒剤を使ったのですか」
清原被告「・・・」
検察官「はっきり覚えてないですか」
清原被告「はい」
検察官「ほか(覚醒剤以外)のものは思いつかなかったんですか」
清原被告「引退後は一日、お酒に・・・」
検察官「そこからなぜ、覚醒剤に?」
清原被告「自分でもよく分かりませんが、今振り返ってみると、いつの間にかそういうものに頼っている自分がいたと認識しています」
検察官「あなたの周りに、使っている人がいたんですか」
清原被告「はい」
検察官「小林から買って覚醒剤を使い始めたのは、平成26年からということでしたね?」
清原被告「はい」
小林から買う前はどうやって入手していたのか尋ねられると、
清原被告「小林を紹介してくれた人です」
検察官「それは、暴力団関係者ですか」
清原被告「いいえ、違います」
検察官「どれくらいの頻度でしたか」
清原被告「それはちょっと・・・。よく分からないです」
検察官「注射器は昨年から使い始めたということでしたが、それ以前はどうしていたのですか」
清原被告「ガラスパイプであぶったり・・・」
検察官「これまで覚醒剤に費やしたお金はどれくらいですか」
清原被告「・・・」
検察官「聞き方を変えます。月にいくらくらいですか」
清原被告「・・・。コンスタントに月にいくら、という使い方ではなく、何カ月も使わないときもあって、月にいくらというのは分からないです」
検察官「多いときは?」
清原被告「それもちょっと覚えてないです」
覚せい剤の使用状況の詳細を尋ねる質問には、あいまいな答えが続いています。
本当に覚えていないのか、言いたくないのか・・・。
検察官「何度も覚醒剤をやめようと思ったということでしたね?」
清原被告「これは恥ずかしい話なんですが、何度も覚醒剤をやめるために、自ら命を絶つこと、そればかり考えてました」
検察官「通院だけでなく、入院されていたこともありますか」
清原被告「あります」
2013年には、覚せい剤の急性中毒で病院に緊急搬送され、電気ショック療法を受けていた清原被告。
→清原は緊急搬送で電気ショック療法まで受けていた!?ビビリで小心者だった番長の本心とは?
検察官「通院途中でやめてしまうことは?」
清原被告「カウンセリングだったり、入院もしましたけど、途中でやめたことはありません」
検察官「最後まで通って、やめられると思った、ということですか」
清原被告「やめられるというか、そういう治療をしていただいたので、そう思っていました」
検察官「覚醒剤を使っているという疑惑の報道が出たときはどうでしたか」
清原被告「報道は確かに苦しかったです・・・。仕事がなくなり、正直、つらかったです」
検察官「その後も覚醒剤を使い続けたわけですよね?」
清原被告「やはりその・・・報道後の自分の生活、自分の心がすさんでいたんで・・・」
検察官「報道により、逮捕されるとは思ってなかったんですか」
清原被告「考えたことはありました。だから・・・なかなかやめられない自分がいて、自ら命を絶つしかない・・・。そういう風に・・・」
検察官「覚醒剤をやめられるという自信はどこから来るのですか」
清原被告「前の自分とこれからの自分は、決定的に違うと思います。まず、心と体を健康にし、そして、留置場での生活、ここで証言している自分を一生涯忘れず、手を差し伸べてくれる人のアドバイスを聞きながら、やっていきたいと思います」
検察官「心と体を健康にするというのは、どうやるのですか」
清原被告「14歳で電気屋の息子が全国区になり、走り続けて、社会に適応できず・・・。まずは空を見たり、風を感じたり・・・。今の生活を・・・したいと感じています」
裁判官質問
裁判官「まず、覚醒剤を使ってしまうという、そういう時に、使い続けてしまう前に、お父さんとか佐々木さんに相談できなかったんですか」
清原被告「長く選手を、野球を続けてきた中で、人に悩みを言うことは厳しかったです」
裁判官「報道が出た時には、まだ奥さんやお子さんなど家族も近くにいたわけですが、家族に相談することもできませんでしたか」
清原被告「自分でため込むタイプだったのと、心配させたくない思いもあって相談はできませんでした」
裁判官「覚醒剤を使っているときの感覚について教えてください」
清原被告「ストレスや不安が一時的になくなるような感じがしました」
裁判官「それを求めて使ったのですか」
清原被告「はい」
裁判官「覚醒剤を使用することによって、幻覚やさまざまな作用のせいで他人を傷つけてしまうこともあります。その危険性は知っていましたか」
清原被告「そこまで深い認識はなかったですが、逮捕後にいろいろな作用がある話を聞き、危険なものだったのだと思うようになりました」
裁判官「ご自身が幻覚などを経験したことは」
清原被告「ありませんでした」
裁判官「今後も、家族やお子さんに会えないこともあるかもしれません。それでも、また覚醒剤を使用してしまうことはありませんか」
清原被告「もうこれ以上・・・私は留置場にいてわかりませんでしたが、犯した犯罪によって報道される姿を、息子たちに・・・見せることを二度としたくありません」
背中を丸めうなだれる清原被告。
人目をはばかることなく、ハンカチで目元を押さえ涙を拭ったそうです。
求刑
検察官「被告人は、遅くとも現役を引退したころから覚せい剤を使用するようになりました。(覚醒剤を譲り渡したとされる人物に)『ありますか』と述べるだけで入手できる状態にあり、長年使用していたことは明らかです。自宅からはストロー片や注射器のほか、ガラスパイプに詰められた覚醒剤も見つかっていて、覚せい剤が生活の一部になっていたことがうかがえます。親和性、常用性は高く、再犯の可能性も高いといえます。引退後、目標を失ったといいますが、タレント活動などもしていました。使用したきっかけとされる『心の隙間を埋める』というのも酌むべき理由ではありません。一方、被告人は前科、前歴がなく、支援を申し出てくれている家族や友人もいることから、懲役2年6月を求刑します」
検察側の論告求刑は、懲役2年6月。
弁護人「被告は野球選手として多くの人に夢を与えてきました。薬物に手を出したことを心から悔い、繰り返し謝罪の言葉や気持ちを伝えてきました。留置場での生活で心身ともに疲弊し、今も耳鳴りなどに苦しんでいます。長期間の報道で社会的制裁を受けたといえます。今後は被告が野球に携われるように申し出てくれている友人や、更生の力になろうという地元の支援者らもいます。同時に、再び覚せい剤を使用すれば、こうした人々の信頼を失うことを被告は十分承知しています。被告人は更生に向け一生戦う決意があります。強(きょう)靱(じん)な肉体と精神力を持っていることから、見事に立ち直った際には人の役に立つことが償いとなります。本人が更生を望んでいることから更生の機会を与えられることが必要であり、寛大な判決を求めます」
裁判官「以上で審理は終わります。最後に何か言いたいことはありますか」
清原被告「本当に、申し訳ありませんでした」
午後3時32分に閉廷。
佐々木氏が退室の際、清原被告の脇を通りかかって握手を求め、清原被告はその手を握り返します。
退出する佐々木氏の背中を見送った後、弁護人に声を掛けられると、出入り口で振り返り一礼し、清原被告は法廷を後にしました。
まとめ
検察側の求刑は、懲役2年6月。
長期間の薬物使用と、再犯の可能性の高さが争点と言えそうです。
果たして清原被告は本当に更生できるのか・・・。
2人息子さんのためにも、今度こそ更生してほしいと思います。
非常に長文になりましたが、ここまでお読みいただき、ありがとうございました!
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