【天気の子】最後の祈り&歌の意味は?ラストのセリフで新海誠監督が伝えたかったこと

新海誠監督の映画『天気の子』で、ラスト、陽菜(ひな)は最後何を祈っていたのか?
ラストの帆高の「大丈夫だ」というセリフで新海誠監督は何を伝えたかったのか?エンドロールで流れるRADWIMPS『大丈夫』の歌詞に込められた意味とは?
原作小説やパンフレットで語られた新海誠監督と野田洋次郎のインタビューを元に、考察していきます。
ラストまでネタバレしていますので、結末を知りたくない方はご注意ください。

【考察】陽菜の最後の祈りの意味は?

帆高が陽菜と再会した時、
雨の中、坂の上で、陽菜は傘も刺差さずに祈っていました。

なにかを願っていた。

天気の巫女としての力は失われ、もう晴れにすることはできないとわかってはいても、
それでも陽菜はなにかを祈っていました。

陽菜が何を祈っていたのかは語られていませんが、
RADWIMPSの「大丈夫」の歌詞になぞらえれば、世界が陽菜の小さな肩に乗っているのを帆高はそこに見たということになります。

帆高とのお天気ビジネスを通じて、陽菜は

陽菜「私、好きだな。この仕事。晴れ女の仕事。私ね、自分の役割みたいなものが、やっとわかった」

と帆高に言います。

フリーマーケットの主催者たち。
結婚式で奥さんの白いウエディングドレスを青空の下で見たがっていた新郎。
ペルセウス座流星群の観測合宿を晴れにしてほしいと言った天文部部員の高校生。
晴れたコミケでコスプレしたいと言っていた女性たち。
ひいきの馬が雨に弱いからと晴れを願った競馬ファン。
運動会を晴れにしてほしいと願った幼稚園児。
神宮外苑花火大会。
旦那の初盆を晴れで迎えたいと願った立花富美。
娘会うために晴れを願った須賀。

雨ばかりが続く東京で、たくさんの人達がそれぞれの理由で晴れを求めていたこと。

陽菜は誰よりもそれをわかっていたから、たとえ自分の体がどんどん透明になり、人柱となることがわかっていても、晴れを届け続けました。

そんな陽菜が祈っていたのは、
たぶん、そういう人たちのしあわせじゃないかなあ・・・。

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ラストのセリフ「大丈夫だ」で新海誠監督が伝えたかったこと

祈る陽菜を見て、帆高は初めて自分たちの選択の重さに気付きます。

世界は最初から狂っていたわけじゃない。僕たちが変えたんだ。あの夏、あの空の上で、僕は選んだんだ。青空よりも陽菜さんを。大勢のしあわせよりも陽菜さんの命を

それでもラスト、帆高は陽菜に言います。

帆高「陽菜さん、僕たちは、大丈夫だ」

と。

このラストの「大丈夫だ」は何を意味するのか?

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須賀や警察=社会全体を敵に回し、狂っていった帆高の選択

須賀「人柱一人で狂った天気が元に戻るんなら、俺は大歓迎だけどね。俺だけじゃない、本当はお前だってそうだろ?ていうか、皆そうなんだよ。誰かがなにかの犠牲になって、それで回っていくのが社会ってもんだ。損な役割を背負っちまう人間は、いつでも必ずいるんだよ。普段は見えてないだけでさ」

と須賀が夏美に言ったように、これが社会のあり方です。

しかし、帆高はそういった社会の常識や最大多数の幸福、すなわち、社会全体と対立していきます。

高井刑事たち警察を敵に回し、
陽菜を取り戻すためなら、

帆高「天気なんて狂ったままでいいんだ!」

と叫びます。

新海監督自身が言っている通り、
これはある意味、帆高が狂っています。

陽菜を取り戻したことで、結果的に3年間雨が振り続け、東京都の面積の1/3が水没してしまいます。
おそらく次の人柱たる天気の巫女が出現するまで、あるいは永遠に、雨は振り続けるのでしょう。

全然大丈夫じゃねーじゃんという状況下で、それでも「大丈夫だ」という帆高。

新海誠監督は、この帆高のセリフを通じて伝えたいことを

新海監督「僕はもう、帆高や陽菜の側じゃなく、彼らを見守る須賀というキャラクターと同じ大人の側です。それでも帆高や陽菜に寄り添いたい。激しすぎる、まぶしすぎる、痛すぎる若い感情を物語のエンジンにして、10代や20代の観客に『これは自分たちの映画だ』と思えるものを届けたい。世界はこんなになってしまった。でも、何の根拠も保証もないけど『大丈夫だ!』と若者には言ってほしい。僕もそれを聞きたい。そんな思いを込めました
引用元:2019年7月21日付朝日新聞

と語っています。

伝えたかったのは、狂ってしまった世界でも、「大丈夫だ」と言える力強さ。

新海監督「『天気』をテーマにしたきっかけは、『君の名は。』の公開時あたりから実感した気候の変化です。僕たちが親しんだ穏やかな四季はどこへ行ったのか。報道を見ても気候変動は否定できない。この先は多分もっとひどくなる。僕たち大人はそういう無力感や絶望感を抱えて右往左往するばかりだけど、これから自分の人生を生きる若い人たちには、そんな憂鬱を飛び越えて、新しい世界に向かって力強く走り抜けてほしい

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最後の歌RADWIMPS『大丈夫』の歌詞の意味

原作小説『天気の子』のあとがきで、RADWIMPSの「大丈夫」の歌詞の意味についても裏話が語られています。

『天気の子』の脚本を書き上げ、最初に読んでほしいとRADWIMPSの野田洋次郎に送った新海監督。

すると、3か月後に「愛にできることはまだあるかい (Movie edit) 」「大丈夫」のデモ曲が届きます。

「愛にできることはまだあるかい」は、そのままラスト、エンドロールに使われています。

陽菜が人柱となって消えてしまい、
その陽菜にもう一度会うために帆高が警察を振り切り、線路を走っていくラストシーン。

ねえ、陽菜さん。
君のためにーー僕に出来ることはまだあるの?

に対する答えになっていますね。

愛にできることはまだあるよ
僕にできることはまだあるよ

一方、「大丈夫」は当初、「これは曲としてはこの映画には使えない」と判断していました。
使いどころが思いつかない、と。

しかし1年後、ラストシーンの演出に悩んでいた新海監督は、あらためて『大丈夫』を聴いてきて衝撃を受けます。

新海監督「ぜんぶここに書いてあるじゃないか。そう。必要なことも、大切な感情も、全てが最初にもらった『大丈夫』に歌われていたのだ。僕はほとんど歌詞から引き出すようにしてラストシーンのコンテを描き、一年前に届いていた曲をそこにあてた。果たしてそうしてみれば、それ以外は他に在りようもない、それがこの物語のラストシーンだった」

そうして出来上がったのが、あのラストシーンです。

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実は野田洋次郎は『大丈夫』を違う曲にしたかった!?

野田洋次郎はエンドロールを違う曲にしたいと交渉しましたが、監督は譲らず、この歌で映画の本編を終えたいと言ったそうです。

野田洋次郎「『大丈夫』という曲はこの『天気の子』のための曲であり、帆高と陽菜の曲だ。この世界で期せずして与えられた宿命に翻弄される二人の歌だ。でも、それが果たして最後、お客さんたちの曲になるのかが分からなかった」

しかし、原作小説『天気の子』を読んで、

君の「大丈夫」になりたい
君を大丈夫にしたいんじゃない
君にとっての「大丈夫」になりたい

という、「大丈夫」の歌詞の意味について、

野田洋次郎「すべての人が、皆自分だけの世界を持ち、その世界の中で必死に生きている。役割を持ち、何かしらの責任を負い、自分というたった一つの命を今日から明日へと日々運んで行く。何も陽菜だけではなかったのだ。そしてすべての人が、そんな自分だけの『世界』をもがきながら生きている。その姿を近くで誰かに見てもらえる心強さや安心感を知っている。そして誰もが、かけがえのない大切な人がもがく姿を見た時、『この人の大丈夫に、自分がなりたい』と願っている」

と監督が教えてくれたと語っています。