『相棒』出演以来、連ドラや映画など、俳優として怒涛の活躍を見せている成宮寛貴。
17歳で芸能界に入った成宮寛貴ですが、その活躍の裏には、実は壮絶な過去がありました。
成宮寛貴の母親や医者をしている弟、家族についてまとめました。
『A-Studio』で読まれた、弟さんの兄への思いがつまった手紙全文もご紹介します!
目次
成宮寛貴(なりみや ひろき)プロフィール
引用元:mensjoker.jp
- 本名:平宮博重(ひろしげ)
- 1982年9月14日生まれ(35歳)
- 身長172cm、体重53~60kg(※推定)
- A型
2000年 宮本亜門演出の舞台『滅びかけた人類、その愛の本質とは・・・』ケイン役で俳優デビュー。
子供時代
2004年8月8日放送の『情熱大陸』で語られた子供時代。
子供時代の写真とあまり似ていないということで、
スタッフ「聞きにくいんですけど、整形とかしてるんですか?」
成宮寛貴「してないです。全然してないです」
確かに番組見てると、中学校から高校くらいの間に一気に顔が変わってます。
でもたぶん成長期だからで、そこからずっと今の顔なので、整形はしていないのではないかと。
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いじめを受けていた過去
幼い頃の思い出は、
辛い記憶の方が多いという成宮寛貴。
他人とうまく折り合えない性格で、
個性の強さが周囲の反発を呼んでしまい、
何年もの間いじめを受け続けていたそうです。
成宮寛貴「物がなくなったりとか、暴力的なものとか、押さえつけれられて口の中にツバ入れられるとか。でも親は自分と戦うことにすごく一生懸命な人だったから、『ここで負けたらおしまいよ』みたいなこと言われて、学校休まずに行ってましたけど」
中学時代
いじめから逃れるために、他人に合わせて過ごしたそう。
本当の自分を捨てた3年間。
それはそれで、苦い時間で、
成宮「もっと自分らしく自分でいる方法あったと思うんです。自信がなかったんだと思うんですね自分に。自信があったらそのま んまやれたと思うし。そのまんまの自分で、作り込まずに・・・」
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母親はどんな人?
母子家庭で育った成宮寛貴。
お母さんは14歳の時に亡くなり、
6歳年下の弟と2人きりに。
弟は当時まだ小学校2年生。
天草引越センターでアルバイトをして、生計を立てたそうです。
2015年7月3日『A-Studio』に出演した際、
笑福亭鶴瓶「不安やったやろ?」
成宮寛貴「一生懸命だったので、その状況は変えられないから、うまく上がっていくしかないっていう感じで」
わずか14歳で、この決断は本当にすごい・・・。
弟と生活していくために、
成宮寛貴は俳優で食べていくことを決意します。
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弟はどんな人?
成宮くんには6歳年下の弟さんがいます。
現在29歳。
名前はさすがに弟さんのプライバシーのために、『A-Studio』でも明かされていません。
職業は医者?ともウワサされていますが、真偽の程は不明です。
大学が東京理科大学なので、医者の可能性は低そうですが・・・。
『A-Studio』の取材を受ける弟さんの画像がこちら↓↓
引用元:youtube.com
弟さんは高校、大学と進学し、
現在は就職して結婚もしています。
お母さんが亡くなられてから、
成宮寛貴が親代わり。
弟さんの学費も、成宮くんが全て払っています。
成宮「学費は普通に払ってます、俺が。でも普通なんで、俺にとってはこれが。だからそんなに特別とか・・・まあ特別なんですけど、僕にとっては普通なんで。そんなに・・・うん」
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大学は?
弟さんは一浪して、東京理科大学に進学。
私立で、理系では偏差値60~の難関校。
弟さんを一浪させたのは、成宮くんの経験がありました。
成宮寛貴「最初は変な大学に行こうとしてですね。偏差値が低いとこに。で、入学金も払ったんですけど、この弟の性格でここ行くと、ちょっと幸せになれないんじゃないかなと思って、お願いだから一年浪人して、東大行ってくれって。弟説得して、東大は入れなかったんですけど、理科大に入ってくれて」
東大は入れは結構無茶な気がしますが・・・。
成宮寛貴「僕自身も中学校1年生ぐらいまでしか行ってなくて、そこからすぐ働きに出ちゃったので、やっぱ世間で学歴がどれだけ大事かっていうことをすごく身に染みて」
成宮寛貴自身は中卒で芸能界に入っています。
アルバイトで生計を立てていた時も、
きっと中卒ということで様々な苦労があったのでしょう・・・。
成宮寛貴「でもモチベーションを1年間ずっとキープするって大変ですからね、たまにどうなってるかなって、様子見たりとかしてましたけど・・・。いつも電気を消さずに勉強したまま寝てる姿とかは、あ、ちゃんとやってんだなっていう・・・」
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親代わり
家へ帰ったら、父親にも、母親にもなる成宮くん。
『情熱大陸』の取材当時、成宮くんは21歳で、
高校1年生の弟さんと二人暮らしでした。
移動時間節約のため、劇場近くのホテルに泊まることになった成宮くんは、ホテルで弟さんに連絡。
外泊する時は、弟さんに電話を入れていたそうです。
成宮「もしもし?お前今どこにいんの?家?飯食った?何食ったの?カレーばっか食ってんじゃん。またお前冷房つけっぱなしだったよ。なんかもう、南極みたいだったよ。とりあえず今日泊まりだから。うん、鍵閉めて」
冷房つけっぱなし注意はまさに母親。
でも21歳で、自分の仕事もやって、弟さんの面倒も見て・・・って、
本当にすごいですね。
奥さんはミチコさん
弟さんは現在既にミチコさんという女性と結婚しています。
引用元:youtube.com
弟さんがインフルエンザにかかっていたのを看病しに来ていた彼女と、
最悪の初対面だったとか。
成宮寛貴「ざっけんなよお前!うつすなよ!・・・あ、どうも兄です。あ、スミマセン弟が・・・」
結婚式から1年経つのに、ミチコさんとは1回も会っていないのだとか。
向こうの両親と食事しようという話になって、だいぶ経ってしまっているようです。
成宮くん忙しいですからね~・・・。
成宮寛貴「弟はどうでもいいんですけど、ミチコさんとご両親にはちゃんとしなきゃなっていう・・・」
結婚式も派手にしないで、成宮くんはスピーチもしなかったそうです。
成宮寛貴「普通は新郎側がやるんですけど、向こうの親御さんにやっていただいた方が、結婚式をスムーズにいかせるにはそっちの方がいいんじゃないかなって」
なんて出来た兄・・・!!
成宮寛貴「基本的にみんなが笑っていてくれたら僕が幸せなんですよ。だから、そのためにはどうすればいいんだろうっていうことですよね。だから、あんまり芸能界に向いてないような気もするんですけどね。前に出て行かなきゃいけなかったりするじゃないですか。俳優向いてるのかな~って毎回悩んだりする時もあります」
なんていうか・・・自分がすごく苦労してきた分、人に優しくできるんでしょうね・・・。
この若さでこの考え方はすごいな~・・・。
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弟とのエピソード
ワサビケーキ
お母さんが生きていた頃、抹茶ケーキと言ってワサビまみれのケーキを食べさせていたとか。
成宮寛貴「母子家庭だったんで、弟を起こして、学校行く時に弟も保育園連れて行ってたんですよ。で起きないんですよ。起きないか ら、好きなケーキ食わせるのにワサビ混ぜてイタズラしたんですけど」
起こし方が激しすぎる(笑)
2人が一緒に住みだした頃、
今度は成宮寛貴が起きなくて、
弟さんに起こしてもらってたそうです。
成宮寛貴「逆転しましたね。弟の方がいつの間にかしっかりし始めちゃって」
たぶん弟さんも、お兄さんの負担にならないように、頑張ってたんじゃないかな~・・・。
ゴキブリ嫌い
ゴキブリ嫌いな成宮くん。
弟さんも苦手で、倒したゴキブリをゴミ箱にどっちが捨てに行くかで、
成宮寛貴「俺が家賃払ってる」
それ言われたらおしまいだと、弟さんは持って行ったとか(笑)
成宮寛貴「一応ジャンケンしたんですよ。ジャンケンしたんですけど負けちゃって・・・でもホントにダメなんですよ!あいつの感触がもう・・・」
Gの感触が得意な人はいないと思う・・・(笑)
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叙々苑弁当
成宮寛貴「いじめんの好きなんですよね」
弟さんが390円ののり弁食べてる時に、叙々苑の弁当をテレビ局からもらってきてニヤニヤ笑いながら食べたそう。
引用元:jojoen.co.jp
これね、4000円とかするやつね。
なんて嫌なアニキだ・・・(笑)
成宮寛貴「わざとやりました(笑)カワイイんですよ、悔しい顔とかが。なんか『ふうっ!』っつって」
弟さんの話する時めっちゃいい顔しますね~。
いつも笑顔だけど、一段とやさしい目になります。
成宮寛貴「そういう時間を弟と一緒に過ごすのがすごく楽しかった」
きっと弟さんも同じだったんじゃないかな~と思います。
プレゼント事件
弟さんが一番嫌だったことが、この”プレゼント事件”。
弟さんがバイトをして、奮発して成宮くんの誕生日にワインをプレゼントしたそうです。
しかし!
成宮寛貴はそのワインを「ファンの人からもらったんだけど飲むか?」と弟さんに2か月後に渡したそうな。
弟さんが一生懸命バイトして買ったワインを・・・!!
弟「俺に渡してどうする・・・」
これは結構ショックだったのでは!?
バイトしてまで買ったワインが、ファンのプレゼントと勘違いされるとは・・・。
今度は弟さんの誕生日に、成宮寛貴が靴を贈りました。
ワインの件で腹が立っていた弟さんは、しばらく履いていなかったそうです。
成宮寛貴「人に貰った物を粗末にすんな!!」
オイッ!(笑)
成宮寛貴「そんなことがあったんですかー・・・。それひどくないですか!?弟言わないんですよ、そういうこと。まあ結構ふざけたアニキですよ」
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全裸で台本暗記!?
弟さんによると、成宮くんは家で全裸で台本を暗記しているとか。
成宮寛貴「家に帰ったら服脱ぐのが一番最初なんですよね」
・・・・・・変態?
舞台のアニキは好きだという弟さん。
あの全裸で覚えてたセリフがこれかと、
あの稽古はこの衣装着るのかと衝撃だったそうです。
家で全裸でやられちゃな・・・。
弟「とにかくパンツ履けと」
台本ないって一生懸命探してるけど、パンツ履いてないアニキ。
『NANA』のギターも全裸で弾いてたそうな。
オイっ!!!(笑)
それはノブに謝れ(笑)
でもこれ、今思えばすごい豪華メンバーでしたね~。
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アニキが抱かれたい男№1
弟さんは高校は男子校だったそうです。
男子校はあえて成宮くんが入れたのでしょうか?
成宮寛貴「自由に進んだらいいと思ったんですね。その中で、自分のやりたいことを見つけて、大学に進んでくれたらいいなと思ったんですけど」
弟「高校の時に、アニキが抱かれたい男№1になった弟の身になってください」
自分のアニキが抱かれたい男№1で、自分は男子校・・・。
どうしたらいいんだと。
成宮寛貴「成宮って名前も本名で使ってたんで、あ~ちょっと悪かったなーっていうことは・・・。弟は何も言わなかったですけど、すごくそれで迷惑は被ってたと思いますね」
成宮って本名だったんですね!?
かっこいい名字ですね~。
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成宮寛貴の教育論
裸電球だったのが、
急にシャンデリアになって、
小さなブラウン管のテレビが、
急にホームシアターになって、
弟さんはCMの仕事が入ったんだなと、だんだんわかってきたそうです。
成宮寛貴「最初ダンボール箱テレビ台にしてたんですけど、ちゃんと買いました。後は弟の欲しい物とかも『お兄ちゃんこういうの 欲しいんだけど』って言ったものに対して、それよりもちょっとだけいい物をあげるようにして、お金の大切さというか・・・豊かになればこういうものが買えるんだよっていうのをわかってもらいたくて」
めっちゃいいお兄さん・・・!!
今時親でもこんな親なかなかいないよ・・・!
成宮寛貴「ほっとけば勝手に育つっていう感じが途中からしてきて、なんかあんまり面倒見すぎんのも良くないなっていう感じがあって、困ったら電話がかかってくるし」
男兄弟でよかったという成宮寛貴。
確かに妹でパンツ履いてないのは問題ですよ・・・!
成宮寛貴「女の子だったら心配でしょうね。毎日心配で、門限とか作っちゃったりして」
自分の娘にやるんじゃないでしょうか(笑)
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弟からの手紙全文
番組内で読まれた、弟さんからの手紙の全文です。
弟さんが結婚式に伝えたかったこととは・・・?
兄へ
この度はAスタジオへのご出演おめでとうございます。
私も微力ではありますが、協力させていただきました。
その中で、兄との数々の出来事を思い出してとても懐かしく感じています。
幼少の頃は母が出張で留守がちで、よく二人で留守番をしていましたね。
イタズラ好きな兄は、寂しくないようにとよく私をからかい泣かしてました。
おかげで泣かされていた記憶が多いです。
母が亡くなった葬儀の時は、泣いてばかりの私に
「最後ぐらいは我慢しろ。お母さん心配で休めないぞ。
これからは二人で頑張ろう」と
涙をため手を強く握りながら言っていたのを
今でも強く覚えています。
二人で生活を始めてからは
家に帰れないような忙しさの中でも
「人気商売だから、ここでがんばらないと」と
台本を片手に家を出ていく姿は
本当にかっこよかったです。
当時、まだ二十歳ぐらいだったにも関わらず
兄は私に父のように、母のように
厳しく、優しく接してくれました。
そのおかげで私は進んでこれたのだと思います。
兄が当たり前のように自分の青春にかえてまで
弟の私を育ててくれたことに感謝してもしきれません。
本当にありがとうございました。
これからもお身体に気をつけてがんばってください。
弟より
成宮寛貴「これ反則ですね~・・・危ないですよ」
ちょっと声が掠れてる成宮くん。
これはうれしいですよね・・・。
成宮寛貴「でもなんか・・・僕はたぶん、あいつのおかげで強くなれたんだと思うので。悲しい時に涙を流すのは男じゃないとかそういう・・・弟がいたからこそ今の感覚っていうのがある感じがするので。こういう時に、すごく我慢しちゃうくせが・・・」
お母さんを亡くして、兄として弟さんをずっと支えてきた成宮寛貴。
そろそろ肩の荷をおろして、泣きたい時に泣かせてくれる人と幸せになってください・・・!!