今季限りでの現役引退を表明した澤穂希選手が、17日に東京都内で記者会見を開きました。
20年以上にわたって日本女子サッカー界の中心として活躍してこられた澤選手。
引退を決意した理由は何だったのか?記者会見で語られた内容をご紹介します。
目次
日本女子サッカー界のレジェンド澤穂希選手
澤選手のプロフィール
・1978年9月6日生まれ、 東京都府中市出身。
・身長 165cm 体重 54kg
・日本女子サッカーリーグ・INAC神戸レオネッサ所属。
・ポジションはミッドフィールダー。
主にセンターハーフを務めることが多い。
日本人としては平均的な体格ですが、サッカー選手としてはやはり欧米の選手に当たり負けしてしまうようです。
澤選手の昔からの戦友、アビー・ワンバック選手(アメリカ)が180cm、81 kgということを考えると、澤選手がこの体格で世界の強豪選手と渡り合っているのがいかにすごいか、よくわかります。
「当たり負けしないように筋力トレーニングをしても、体格やパワーの差は縮まらない」。悩み、もがいて見つけた答えは、「自分のプレーを貫き通すしかない」。
澤選手が磨いたのはテクニック。
誰よりも先にシュートを狙える位置に入り、敵のパスコースを読んで先回りする。
豊富な運動量を武器に、躍動感あふれるプレースタイルから、「クイック・サワ」のあだ名がつきました。
”レジェンド”と呼ばれる功績
日本女子サッカー界のパイオニアとして、早くから海外へ渡り、プレーしてきた澤選手。
数々の輝かしい成績を残しています。
・中学1年で読売ベレーザ(現・日テレ・ベレーザ)に入団。
・15歳で日本女子代表に選ばれる。
・1999年に渡米し、2003年まで女子プロリーグのアトランタなどに在籍。
・2009~2010年に再び渡米してワシントンでプレー。
・2011年のドイツW杯で、日本代表(なでしこジャパン)の主将を務め、最優秀選手と得点王に輝く。
・2012年、アジア人では史上初となる「FIFA最優秀選手賞」を受賞。
・ロンドンオリンピックで、日本女子代表の史上初のメダル(銀メダル)獲得に貢献。
歴代最多記録
・出場したワールドカップ大会数・・・6大会
※男女通じて世界最多。・日本女子代表での連続フル試合出場・・・38試合
・日本女子代表での得点・・・83得点
・日本女子代表の出場試合・・・205試合
う~ん、まさに”レジェンド”の名にふさわしい、すさまじい数字です・・・!!
ワールドカップが4年に一度の大会だということを忘れてしまいそうですね(笑)
アスリートであり続けるだけでも難しいのに、世界のトップと戦い続けてこられたのは、圧巻です。
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引退理由は?
引用元:THE PAGE
引退の一番の理由は、心と体が一致してトップレベルで戦うことがだんだん難しくなってきたと感じたからです。
澤選手はまず会見の一番初めにこう語っています。
去年のもう本当に1年、代表から外れたときにいろいろなことを考えて、やっぱり体も心もなかなか一致してトップレベルにするにはもう難しいのかなと、自分自身思っていたので、本当に今年1年かなという思いでした。
去年から現役を続けるか自問自答されていたんですね。
・今まで、2011年のワールドカップのときとか、そのあとのことに比べると、やっぱり体も疲れが取れなかったりですとか、気持ちの面でその上を目指す上で、なかなか目標とかに向かっていくのにも難しい一面もありました。
・自分の体もやっぱりしんどいし、心も、モチベーションを持つのもやっぱり大変で、で、たぶん皆さんがもしかして想像している以上に、やっぱり心と体を一致さしてトップレベルでやるっていうのは本当に簡単なことではなくて、今回も自分自身、正直本当にもう厳しいな、難しいなって本当に思ったので、なでしことかだけじゃなくてINACのほうでももう本当にいっぱい、一生懸命自分の中でもやってきたなっていう思いがあってのこの決断です。
・冬になるにつれて、やっぱり体もちょっと痛いところが出てきたりだったりとか、やっぱり回復するのも若いときに比べれば遅いですし、体がやっぱり今までちょっと足が出てたところが出なくなったりとか、やっぱり自分の中で、今までとは本当にベストな状態でやってるときの体と比べると、やっぱりちょっとっていうのは感じてました。
引退の理由としては、体力的な衰えが一番の原因のようです。
37歳という年齢を考えると当然なのですが・・・
素人から見ると「まだまだできるんじゃないか」と思ってしまいます。
2016年のリオ五輪出場も期待されていたので、本当に残念です。
やはりプロのトップレベルでプレーするのは心身ともに相当ハードだということでしょうね・・・。
澤選手自身、衰えた体を奮い立たせるだけの目標を見つけることも難しくなっていたようです。
妊娠あるいは病気の可能性は?
澤選手は、今年の8月8日に元ベガルタ仙台DFの辻上裕章さんと入籍されています。
結婚と引退の関係を聞かれると、
いや、まったくそれはないです。結婚していようがいないであろうが、たぶんこの決断には変わりなかったと思います。逆にむしろ主人が支えてくれたので、本当にこの1年頑張れたと思っています。
ネット上では妊娠との噂もありましたが、どうやら妊娠はされていないようですね。
もう一つ気になるのが、病気の再発の可能性です。
澤選手は2012年3月に良性発作性頭位めまい症を発症し、4月に復帰するまで、約一ヶ月半実戦を離れています。
良性発作性頭位めまい症とは、特定の頭位を取るか頭位を変換することで数秒~十数秒の回転性めまいを生じる病気です。
再発の可能性が心配されますが、今回の記者会見で特に言及はありませんでした。
体調不良ではないことを祈るばかりです。
今後の活動について
現役時代の実績や社会的影響力を考えると、指導者としての道を望む声も多いはずです。
・今は皇后杯が終わったらちょっとだけ体と心を休ませてから、今後はサッカーはもちろん、日本のスポーツ界、世界でも活躍できるような澤穗希にしかできない仕事をやっていけたらいいなと思います。そして子供が大好きなので今後、日本女子サッカーの底辺を広げるためにも、普及とかやっぱり子供たちに夢を与えられるような仕事ができればいいなと思います。
・現役中は指導者はないなって思ってる部分もありましたけど、今後は引退してから、もしかしたら指導者をやりたいという気持ちになるかもしれないので、そのときの気持ちを大切にしたいと思います。
澤選手のこの言葉を聞くと、指導者になる可能性もありそうですね。
なでしこ監督就任の可能性は?
まず、なでしこジャパンの監督を務めるには、「S級」ライセンスが必要となります。
指導者になるには、日本サッカー協会(JFA)主催の指導者養成講習会の修了し、「ライセンス」を取得しなければならないんですね。
「ライセンス」は
C級→B級→A級ジェネラル→S級
と段階があり、
C級:12歳以下の選手・子どもたちに対して指導
B級:ユース年代以下の指導
A級ジェネラル:なでしこリーグのクラブの監督※「A級ジェネラル」は、「B級」を取得してから1年以上の指導実績がなければを受講できない。
指導できる対象が段階分けされています。
Jリーガーの場合、現役生活と並行しながら「C級」や「B級」のライセンスを取得するケースが少なくないようです。
しかし、現役中はサッカーに集中するスタンスを貫いてきた澤選手は、いっさいのライセンスを取得していません。
なので、「S級ライセンス」を取得するまでに、最低でも4年ないし5年の時間が必要になってきます。
やっぱり資格は必要だと思うので、ある意味またサッカーをより深く教えるためにも、ライセンスを取るっていうのはすごくいいことだと思うので、今後じっくり考えながら、そういう機会があって、自分の気持ちがそこにあれば、ぜひライセンスも取りたいとは思ってます。
ライセンス取得について、前向きに語られています。
もし澤選手が指導者としての道を選択した場合、2023年の女子ワールドカップで「なでしこジャパン・澤穂希監督」が誕生するかもしれません・・・!!
澤選手の印象的なエピソード
米国での暮らしは楽ではなかった。言葉がまったく通じない。好きな食べ物を尋ねられ、「ライス」と答えるたびに大笑いされてしまう。rice(ごはん)ではなく、lice(シラミの複数形)になっていた。ひとりで泣いた。日本へ帰りたい、と何度も思った。
引用元:朝日新聞『GLOVE』
結構前なんですが、朝日新聞で読んで、今も取ってある記事です。
日本女子サッカー界のレジェンドとして名高い澤選手にもひとりで泣いた時代があったんだなあと、
辛い時や落ち込んだ時に見て励まされています。
日本女子サッカー界のパイオニアとして、海外へ渡り、プレーしてきた澤選手。
言葉の通じない国で、たった一人で戦う。
どれほどの苦労だったか、想像を絶します。
外国では言葉だけではなく、文化や食生活も違います。
普通は生活に慣れるだけでも大変でしょう。
澤選手の場合、さらに試合で結果を出さなければなりません。
最初は「なかなか実力を認めてもらえず、パスも回ってこなかった」そうです。
そんな辛い環境で、澤選手がサッカーを続けられた理由は何なのか?
それはやはり、サッカーが好きだから。
シンプルだけど、誰よりもサッカーが好きだという気持ちに尽きるのではないでしょうか。
今回の会見で、「サッカーが嫌いになったことは一瞬もないか?」という問いに対し、
サッカーが嫌いになったことは一度もないです。
と答えています。
本当にここまで何十年やれるっていうのは、純粋にサッカーが大好きだったので、もうその思いだけです。
「好き」なだけで続けられるほど甘い世界ではないと思います。
もちろん、才能も技術も必要だったでしょう。
けれども澤選手をレジェンドとしてここまで押し上げたのは、「サッカーが大好きだ」という気持ち。
この言葉はきっとこれからサッカー選手を志す子供たちの、
そして今まさにピッチで戦っている選手たちの希望となるはずです。
澤選手の公式戦は残り皇后杯、最大で3試合です。
きっと最後まで、澤選手らしい、精一杯の最高のプレーを見せてくれることでしょう。
そして戦い抜いた後は、ゆっくり心と体を休めてあげてほしいと思います。
本当に長い間、お疲れ様でした!!