「洞窟おじさん」こと加村一馬さんが、11月11日放送の『衝撃のアノ人に会ってみた』に出演。洞窟おじさんの現在とは?
13歳の時に家出し、その後43年間サバイバル生活を送った経歴を持つ加村一馬さんのWiki風プロフィールです。
洞窟で暮らしていた時の衝撃のサバイバルエピソードもまとめてみました。
目次
加村一馬(かむら かずま)Wiki風プロフィール
引用元:matome.naver.jp
・1946年(昭和21年)8月31日生まれ(70歳)
・群馬県大間々町出身。
・実家は農家。
・8人きょうだいの4男。6番目。
・内気な性格で、よくいじめられた。
13歳で家出し、以来43年間洞窟などでサバイバル生活を送ってきた“洞窟おじさん”。
43年間・・・!?!?
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洞窟おじさん衝撃の経歴
13歳で家出、サバイバル生活!?
少年時代、木に縄で縛られてぶたれたり、
父親に毎日暴力を振るわれ、虐待されていた加村さん。
学校に弁当も持っていけない貧しい暮らしに嫌気がさし、
「こんな家、出て行ってやる!」
中学2年生、13歳の時家出を決意。
カバンに塩、醤油、干し芋などの食料と
ナタやマッチなど、サバイバル生活に必要なものを詰め込み、
愛犬のシロと家を飛び出します。
シロとやって来たのは、幼い頃に行った、
約25キロ北の足尾銅山。
鉱脈を探すために掘られた山頂付近の穴に住みつきます。
洞窟おじさんの由来
この時、加村さんが山で家にしようと決めたのが洞窟です。
洞窟で暮らしていたのが「洞窟おじさん」の由来ですね。
木の枝を組み合わせ、落ち葉を敷き詰めて作ったベッドを寝床に。
洞窟は、雨や風をしのげるだけでなく、
夏は外より涼しく、冬は暖かく寒さが少し和らいだとか。
・・・っていっても外ですからね・・・。
生活は想像を絶する厳しさだったはず・・・。
持ってきた食料はすぐ底をつき、
ヘビやカエル、カタツムリ、野ウサギを捕って焼いて食べ、飢えをしのぐ生活に・・・。
竹と藤のツルで作った弓で、鹿を捕まえたり、
罠で小動物や鳥を捕まえたり。
毒キノコにあたって腹痛で苦しんだことも・・・。
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人生初のおにぎり&バナナ
1974年、テレビが白黒からカラーに変わり、
街にはコンビニができた頃、
動物の皮で作った靴を履き、
イノシシの毛皮をまとい、
思いっきり時代に逆行していた20代の加村さん。
新潟で、ある農夫婦と出会います。
食料を求め、山から山へ移動していた加村さんは、
群馬→栃木→福島→新潟と移動していたのです。
すさまじいな・・・!!
そこで農家の人にもらったのが、人生初の白米のおにぎり。
そして、初めて皮ごと食べたバナナが感動するほどうまかった!
バナナの甘さに感動、好物になったそうです。
57歳で逮捕、発見
群馬、新潟、福島、山梨の洞窟を転々とし、
たどり着いたのが茨城県の小貝川。
加村さんは釣り名人として、
次第に釣り仲間との親交を深めていきます。
57歳の時、空腹にたえかねて自動販売機をこじあけようとしているところを逮捕、保護され、これまでの加村さんの人生が世に知れ渡ることに。
こうして43年間続いたサバイバル生活は終わりをつげます。
加村さんが57歳の時というと・・・
2003年、平成15年です。
平成ですよ・・・!?地デジに変わった2003年・・・!!
ウソだろ・・・。
窃盗未遂で起訴された際、
加村さんが名乗った戸籍には該当者がなく、
兄とみられる人に写真を見せても確認できず「自称」のまま起訴されています。
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洞窟おじさんさんのその後は?
身元引受人となってくれた釣り仲間が経営するインテリア内装業の仕事に就き、
その人の家に居候していた加村さん。
「平成のロビンソン・クルーソー」として、
加村さんの体験を綴った
「洞窟オジさん―荒野の43年 平成最強のホームレス驚愕の全サバイバルを語る」という本も出版。
が!
加村さんはある日そのお世話になっている家からいなくなってしまい、
テレビ局がいろいろ探し回り、
釣りをしていた加村さんを発見。
インテリア内装業の仕事でもらえる賃金が2,000円で、
これでは保険料などを払うと何も残らないと
不満があったようで・・・。
戻っておいで、せめて電話だけでも家に掛けて、と説得されましたが、
今さら面倒をみてくれた奥さんに会えない、と消えていき、
その後電話も掛けてこなかったそうです。
で、11月11日放送の『衝撃のアノ人に会ってみた』に出演しているということは・・・
また見つけてきたんかい・・・!!
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加村一馬の現在は?
11月11日放送の『衝撃のアノ人に会ってみた』スタジオに、
キャップ帽とシャツ姿で
自作の弓持参で登場した加村さん。現在70歳。
出演をOKした理由は、
加村一馬「東京見物がしたかった」
現在、加村さんは一人暮らし。
なんと基礎以外は全て自分で建てた家!
あ、今はちゃんと扇風機もある・・・(笑)
平日は障害者施設の職員として勤務。
施設のブルーベリー農園で栽培を担当しています。
大粒が自慢。
毎日自炊して生活中。
現在の好物はサーモンとポテトチップス。
洞窟生活の時は魚なかったですからね・・・。
家での楽しみはテレビ。
加村一馬「よくテレビで無人島生活とかやってるでしょ。ああいうのやってみたいよね」
いや・・・十分やってたじゃないですか!!
43年も!!
まだサバイバル生活やり足りんと!?
加村一馬「芸能人とか釣り竿とか全部持つでしょ。俺はナタ一本!生き抜く自信はあるよね。平気だよ」
うん・・・
100%平気。生き抜けるよ・・・加村さんなら・・・。
ちなみに、女の子はよくしゃべってくる子がタイプだそうな(笑)
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壮絶サバイバルエピソード6選!
洞窟おじさんの仰天エピソード①
- 冬の寒さは火でしのぐ。
加村一馬「冬の寒さは火をおこして、火を絶やさないようにしていた」
マッチが切れてからは、
松の木が風でこすれて煙が出ているのを見て火をおこしたそうです。
加村一馬「着るものがなくて、カモシカの皮とかイノシシの皮着てた」
これには武井壮も、
武井壮「加村さんは、実写版百獣の王」
と脱帽。
洞窟おじさんの仰天エピソード②
- 洞窟生活で、病気をしたのは1回だけ。
加村一馬「動けなくなっちゃったの。熱が出て、目の前が全部黄色い花の畑。川が流れてる。シロに耳かじられて痛くて、目が覚めた」
シロのこのエピソードは、「ぼくを救ってくれたシロ」に詳しく書かれています。
加村さんが洞窟生活を始めて、2年後に死んだシロ。
シロは加村さんの心の支えだったんでしょうね~・・・。
洞窟おじさんの仰天エピソード③
- 鹿の足跡がいつ付いたものかわかる。
暮らしていた洞窟付近の山を、実際にロケで訪れた加村さん。
加村一馬「自分の家に帰ってきたような気がするね」
獲物の狩り方を説明する加村さんの動きは、もはや仙人のよう・・・。
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洞窟おじさんの仰天エピソード④
- 獣道でイノシシの匂いを嗅ぎ分けられる。
加村一馬「匂いが違う」
洞窟おじさんの仰天エピソード⑤
- キノコを売って金を稼いた。
加村一馬「これがウマイの。最高」
ヒラタケを売ってお金を稼いでいたと言う加村さん。
村の人が山で採れたキノコを売っていたのを、見よう見まねでやってみると、
金銭感覚のなかった加村さんのキノコは大盛り&激安で大人気になり、飛ぶように売れたんだとか。
洞窟おじさんの仰天エピソード⑥
- 赤い蘭で100万以上稼いだ。
加村一馬「エライ金になったよ。札が・・・」
札・・・!?山で100万!?
山で何千本に一本しかないという、
当時貴重だった野生の赤い蘭。
一株5万円で売れたこともあったそうです。