桶狭間の戦いで井伊家はどうなる!?井伊直親は?5分で短くわかりやすく解説

いよいよ桶狭間の戦いを迎えるNHK大河ドラマ『おんな城主直虎』。
桶狭間の戦いで井伊家は一体どうなるのか?
桶狭間から井伊直虎の誕生、そして井伊直親の子・井伊直政まで、地形図や勢力地図、写真画像をまじえながら、桶狭間の戦いをわかりやすく解説していきます!

※おんな城主直虎を見逃した時は
NHK大河ドラマ『おんな城主直虎』再放送はいつ?BSでの再放送はある?

桶狭間の戦いをわかりやすく解説!5分でわかる

先日実家に電話すると、

「大河見てるけど、井伊家がどうなってるのかよくわからん・・・」

とオカンがぼやいていました。

NHKの大河ってどーにも間口を広げようとしないからなあ~・・・。
なんであんなに不親切なの?っていうくらい、わかりにくいんですよね~。

というわけで、

超ざっくり!桶狭間の戦いをわかりやすく解説していきます。

映画『フィラデルフィア』での
デンゼル・ワシントン演じるジョー・ミラー弁護士の名言、

「説明してください。6才の子供にもわかるように

をモットーに!

ただ、あくまで超ざっくりです。
かなり要点に絞って短く解説しているので、細かい時代考証どうなってんのよ!というツッコミはご了承ください。
そんでもって『おんな城主直虎』の今後の展開のネタバレを盛大に含んでいきますので、ご注意ください。

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桶狭間の始まりは?

駿河を拠点にブイブイいわせていた今川義元。
ある日、

今川義元「そうだ、京都へ行こう

と思い立ちます。

今川義元、42歳。
天下統一を夢見るお年頃。(遅いわ!)

いくら没落したとはいえ、将軍家の威光はすさまじい。
天下取るには、将軍を無視するわけにはいかんのです。

織田信長ですら、最終的に表向きは将軍を担いだくらいです。
まあ信長は将軍じゃなくて天子を担げば良かったと後悔するんですが、それはまた別の話。

今川義元「将軍やっぱ大事でしょ。将軍支えるフリして実質的には俺が支配しよう」

ってことで、将軍支えるために
上洛=京都に行こうとしてたんですね。

桶狭間直前の勢力図は地図で見るとこんな感じ↓↓

当然、京都に行くには、
織田信長のいる尾張を突っ切ってかなきゃいけないわけです。

でも信長なんてハナクソみたいなもんだし、
京都行くついでに尾張も支配していくか~
ぐらいのかる~いノリで、今川義元は駿河を出発します。

兵力は
3千 VS 2万5千。

この戦で負けるとは微塵も思っていない今川義元。

信長が突くのはまさにそこでした。

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井伊家は桶狭間の戦いでどうなる!?

さーではここに井伊家がどう絡んでくるのか?

結果からいきましょう。

桶狭間の戦いで今川義元は織田信長に討ち取られます。
すると、今川義元についてた井伊家もヤバイ?

・・・とは一気にならないんですねー。

信長も義元は辛くも討ち取りましたが、さすがに今川を潰し切るだけの力はありません。

となると、井伊家にとってやっぱり最重要なのは今川家です。
義元亡き後、家督を継いだ氏真(うじざね)なんとかしなきゃ!ってなります。

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桶狭間後井伊直親はどうなる?

柴咲コウのじいちゃん、前田吟演じる井伊直平なんかは今川大っ嫌いだけど、強いので仕方なく従ってます。
なんかあいつブイブイいわせてるからな。

で、今川が行くって言うので、
行きたくないけど戦について行きます。

桶狭間の戦いで井伊家がどうなるかというと、
まず、柴咲コウの父ちゃん、
杉本哲太演じる井伊直盛が桶狭間の戦いで死にます。

「男子がいない男子がいない」と散々騒いでいた井伊家。

父ちゃん死んでもやっぱり跡取りいないので、
三浦春馬演じる井伊直親が家督を継ぎます。

でも井伊直親も死にます。
後で詳しく解説しますが、今川氏真に殺されます。

え、井伊家どうなっちゃうの!?

さあそこで我らが菅田将暉の登場だー!
ドン!!
【菅田将暉まとめ】家族や歴代彼女情報!鬼ちゃんでブレイクするまでの軌跡!

もうおわかりですね?

菅田将暉が演じるのが、
井伊直親の息子で、
酒井忠次・本多忠勝・榊原康政と並んで
徳川四天王と呼ばれた井伊直政です。

2017今年の大河は柴咲コウ主役と見せかけた、菅田将暉が隠れ主役の大河なんだぜ・・・!!

要は阿部サダヲと菅田将暉の話ですね。

井伊直政が幼く、かつ今川の手が伸びて来ていたため、柴咲コウが井伊直虎として一時的に城主になり、井伊直政を育てていきます。

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徳川家康は?

阿部サダヲ演じる徳川家康は、
桶狭間では今川側についています。

つーか人質です。

家康は今川家の人質として、
駿府で少年時代を過ごしていたんですね~。

桶狭間の戦いでは、今川の先鋒として参戦。
今川義元に「食料運んでね」と言われ、兵糧を運び込む役でした。

しかし、桶狭間の戦いで今川義元が討たれ、

徳川家康「ほんとにヤバイのは今川じゃなくて信長だ・・・。でも今こそ今川から逃げるチャンス!人質生活とはオサラバしたい!」

そう思った家康は、
混乱に乗じてとっとと今川から独立します。

そして今川とは断交し、
信長と同盟を結びました。
これが清洲同盟です。

何とも早い変わり身!
こんのタヌキおやじ・・・。

井伊家だって独立したいよ!

そして「三河で家康が独立したらしいよ」となると、
周りは

ザワ・・・ザワザワ・・・

ってな状態に。

氏真がアホボン息子なのはみんなもう何となくわかってるので、
父ちゃんの時はおとなしくしてたけど、今が独立のチャンスじゃない!?と。

つーか氏真についていったらウチが潰れる。

どっか他の強い大名の下につきたい・・・。

遠江の井伊直親も、

井伊直親「井伊も独立したほうがいいんじゃない?今川なんか危ないよ・・・」

ってことに。

他にもあちこちで今川から離れようとする動きが広がったため、
見せしめに今川氏真は家臣の朝比奈泰朝に命じて、井伊直親を殺します。

つまり三浦春馬も結構早い段階で退場になってしまうんですね~。
さみしい・・・。

しかし結局、井伊直親を殺したことでさらに離反の動きが加速します。
こんなヤバイ主の元にいられるか!ってことですね。

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今川は最後どうなるの?

氏真は氏真で超テンパってます。
パパが死んで、
家康初め部下がボコボコ裏切り出すわ・・・。

今川氏真「パパが生きてればこんなことにならなかったのにっ・・・!クキィイイ~!!信長許せん・・・!」

そうは言っても信長を討つだけの力もなく、
いや、実際はまだあったんですが、
どーにも頼りにならない氏真に、

「あいつやばくね?」

と部下はどんどん不安になっていきます。

一方、上杉謙信と川中島でバチバチやりあってた武田信玄(たけだ しんげん)

桶狭間の戦いを機に、ボロボロの今川を見て、
なんか南の方(=今川)いけそうじゃね?
と外交策を転じます。

ここへ来て信玄も

武田信玄「そうだ、京都へ行こう

と欲が出ちゃったんですね~。
こっちも天下統一を夢見るお年頃。(やっぱり遅い!)

信長は信長で、
信玄はめんどいジジイだと思っているので、
今川を挟んでとりあえず信玄と仲良くし始めます。とりあえずね。
だってジジイもうすぐ死にそうだし。

これに対し、

今川氏真「信長と信玄攻めてきそう!ヤバイ!怖い!」

と、武田を挟んで上杉と仲良くし始めます。

地図の勢力図でいうとこんな感じです↓↓

もう腹の探り合い、騙し合いですね。
どいつもこいつも信用できねえ・・・。
「あなたが本命です!大好きです!」って言ったあといきなり浮気してるし。

そんな感じで緊張状態が高まってきたところ、
ついに武田信玄と徳川家康が攻めてきます。

今川氏真「いやああ~~~!!」

この駿河侵攻で、今川家は事実上滅びます。
氏真はその後北条氏を頼り、
最終的には徳川家康の庇護を受けました。

ってことは尾上松也まだまだ結構出てくるね??

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今川義元が桶狭間の戦いで負けた理由

ここからはちょっとコアな桶狭間の戦いを解説していきます。

理由①距離

当時、今川義元が勝つと誰もが信じて疑わなかった戦。

例えて言うならサッカーワールドカップで日本がブラジルに勝つようなもんです。
おっと!石は投げないでくださいね~。

圧倒的兵力を誇りながら、
なんで今川義元負けちゃったのよ??っていうと、
一つは距離です。

今川義元は5月12日に駿河を出発。

えっちらほっちら、尾張にたどり着いたのは5月17日。
約1週間かかっています。

柴咲コウのパパ井伊直盛はじめ、今川についてきた兵はみんな思ったはずです。

京都遠・・・ッ!!!

いくら出発時は士気が高かった軍も
一週間も旅してりゃ疲れるっつーの。

一方、信長は決戦当日、5月19日の夜中に出発。
家臣が「え?今から行くんですか!?」とビックリしたほど、
急遽深夜に出陣して来ます。

織田軍は出発したばかりなのでめっちゃ元気。
想像を超える早さで今川軍を急襲します。

今川軍の進軍ルート↓↓

引用元:city.toyoake.lg.jp

織田信長が天下統一に最も近づいた理由に、立地的条件が大きかったと思います。
なんやかんや言って東京↔京都より、名古屋↔京都の方が近いですからね。

武田信玄が天下を取れなかった理由の一つも距離です。
京都遠い。

上杉謙信も同じく。

歴史の流れに”もしも”はありませんが、当時の日本の中心が今と同じ東京だったら、大きく変わっていたかもしれませんね~。

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理由②地形

桶狭間は谷底のような地形の窪地です。

そんな場所に本陣置くって相当アホでしょ。

攻め込まれたら一巻の終わりです。
やっちゃってくださいといわんばかり。

どんだけ信長ナメてたんだよって話です。
今川義元の本陣は、桶狭間山の高台にあったという説もあるんですが・・・。

2万5千でいけば信長なんかビビって逃げ出すだろ、ぐらいに思っていた今川義元。

逆にビビらされたのは今川軍でした。

のんきに昼ご飯を食べてた今川軍は、織田軍の急襲に超ビビります。
信長が来るのが予想外に早かったんですね。
織田軍が来るのってもっと後なんじゃないの!?と兵達は大パニック。
謀反だ!と勘違いした兵もいたほど。

正直兵が2万5千もいると、統制をとるのも至難の業です。
パニクってる間に、二手に分断され、気付いたら大将の首いかれてた・・・!!

理由③実は手薄な本陣

信長が狙ったのは一点突破
今川義元の本陣です。

いくら2万5千の兵いえど、しょせんは寄せ集め。
大将の首さえとれば崩れます。

さらに、今川義元の本陣を守るのは、実はたった5千の兵だったと言われています。

あとの2万どこいったんだよ、ってことになるんですが、
最後の理由を避けるため、四散していたとか。
全然統制取れてないやーん。

理由④天候

ご存じの方も多いと思いますが、
桶狭間の戦いはでした。

嵐に近い雨です。

天が信長に味方したと言われるゆえんですね。

織田軍は風雨に紛れて、今川義元の本陣があった場所まで隠密裏に近づいたのではと言われています。

一方、今川軍は嵐を避けるため、四散。
味方同士連携が取れず、崩壊。逃げるしかなくなりました。

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